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2019-10-29 16:23
(連載1)日本の対イスラム圏外交の可能性
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
日本では10月4日に臨時国会が始まった。その所信表明演説と代表質問を見ているのであるが、ため息しか出てこない。所信表明でも外交と安全保障は4番目に回された。5つの項目の中で4番目である。行政の側は、G20、G7、TICAD、日米交渉などを随時行っており、「結果を残しているのだから『所信表明』ではなく『結果報告』になるのだ」と言われれば、それまでかもしれない。しかし、憲法改正なども「強靭な国造り」のはずだ。
他方で、野党の代表質問もお粗末だ。本来この機会には、国会の運営と今後の政治の流れ、つまり将来の日本の話をするべきなのに、相変わらず過去の粗探しにばかり注力している。国会がくだらない内向きの言い合いをしている間に、カイロではデモを行った千人を超える市民がエジプト政府当局に拘束され、バグダッドではデモ隊と治安部隊が衝突し死者を出す事態になっている。
そもそも、アラブの春は正しかったのだろうか。イスラムに民主主義を馴染ませる試みはキリスト教圏の諸国がしばしば行ってきたが、イスラムの倫理や哲学的価値観と民主主義、特に「平等」の概念がこの段階で同居可能だったのかはアラブの春に実質的な疑義を投げ掛けている。イスラムでは基本的に神に近いものが政を行う。すなわち、イスラム教徒は神からの距離感で序列化されているということだ。一方で、神から与えられた人権を平等に付与するというキリスト教圏の人権思想は、神と人間の等しい距離を前提としている。それでは、イスラムの政治思想とは必ずしも親和的とはいいきれない。
イスラム教の場合、男性が政治を行い女性は子供を育て家庭を守る役割分担論が一般的である。それに対して、ヨーロッパの場合は同根の一神教であるものの、王権神授説などに始まる宗教と政治を分離するための進歩的な理論が発達したため、民主主義的な国家運営が可能になった。ということは、イスラムで同様のことをするためには、イスラムの解釈から変えなければならないのがわかるだろう。ヨーロッパとは環境も生活習慣も異なるところで、民主主義を強制したところでそうそう根付くものではない。(つづく)
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(連載1)日本の対イスラム圏外交の可能性
宇田川 敬介 2019-10-29 16:23
(連載2)日本の対イスラム圏外交の可能性
宇田川 敬介 2019-10-30 11:11
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