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2019-12-08 10:54
アフガン黄土に斃れた中村哲医師に思うこと
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
アフガニスタン・ジャララバードで、武装グループの銃撃により亡くなった中村哲医師が、かつての芥川賞作家、火野葦平のオイで、祖父が北九州若松港の石炭荷役を取り仕切った玉井組の頭、玉井金五郎であることは知っていた。火野葦平の小説「花と龍」は、父親の玉井金五郎をモデルに、石炭積出でにぎわった往時の若松港のひと模様を描いたものだ。
アフガンを愛し、医療から始まり不毛の黄土地帯での灌漑用水路建設に尽くした中村哲医師のあの根性のDNAは、かの日の荷役を取り仕切り、人望を集めた祖父玉井金五郎のものではないかと思えてくる。石炭積出港の気風に満ちた沖仲士たちの世界があったこの若松は、わたしの出身地でもあり、少年のころ街で火野葦平を見かけたこともある。また、わたし自身、パキスタン辺境とアフガンの、霞のように広がる黄土微粉末に視界をさえぎられる現地体験もしており、中村哲医師の生きざまには感無量なものがある。
中村哲医師の死に対し、日本では「直接お会いしたことはないが、許せないことだ」とのコメントを寄せた大女優もいるが、地元でのその死を「アフガン人として生き、アフガン人として死んだ」と称える以上の尊敬と敬服の念はないとわたしは思う。だがアフガンの黄土世界は、日本人の情感の世界ではない。アレキサンダー大王軍勢も越えたとされるカイバー峠をはさんだパキスタン辺境とアフガンの現地を支配する「パシュトゥーン族」は、パキスタン・アフガン両国政府とは別の現地法理(独特の掟)で生きている。
パシュトゥーン族一家は当然のように、成人の証として、短銃から自動小銃まで誇らしげに持っている。尚武の民の誇りで、歴史上幾度となくあった英軍侵攻、それに近年の旧ソ連侵攻にも銃で立ち向かった。そして意外なパシュトゥーンの掟には、「助けを求め逃げて来たら、敵であっても、集落でかくまう」という鉄則がある。2000年代初頭、タリバン幹部の追討作戦を行った米特殊部隊チームで、唯一生き残った米兵は、このパシュトゥーンの掟によりかくまわれた実話がある。
中村哲医師殺害グループの背景はなお定かではない。政治的背景があるのか、外国人排除を狙うグループなのか、この地域はいまなお、部族の群雄割拠が日常だ。それでもなお中村哲医師がアフガンの民を愛し、生活向上に尽くしたのには、この地に何か、われわれと通い合う正義と人情を感じたのではないだろうか。それが人望を集めた祖父玉井金五郎のDNAと、伯父火野葦平が描いた「花と龍」に意外につながってくるものではないかと、個人的には思う。さらにあのアフガン黄土に斃れたことは、中村哲医師には本懐ではなかっただろうかとさえ。
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