ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2021-01-05 10:36
(連載2)新型コロナウイルス禍と歴史学の同時代性について
葛飾 西山
元教員・フリーライター
約700年前の中国では白蓮教による反乱、あるいは白蓮教に名を借りた反乱が拡大したが、今の状況を通して見れば、そうなることは当然のことであって、むしろそれらは迷信の一言では片付けられない、人々にとっての、生き長らえるための最後の一縷の望みであったのかもしれない。近代的な医療や科学がなく、また衛生状態も現代と比べるべくもない時代ではなおさらであろう。少なくとも私も3月の時点では目に入る街の様子が幻影のように感じた。現代に生きる私でもそうなのだから、当時の人々にとって、社会はどのように映ったであろうか。彼らが宗教にすがった行為を前近代的と嘲笑することはできない。現在、医学の最前線ではワクチンの開発と実用化が急ピッチで進められている。専門家の方々は理論的根拠をもって仕事を進めているが、専門外の我々はその根拠となる理論は何度説明されても分かりようもなく、ただその効用と進捗状況について、自身の中での明確な根拠がないままニュースを信じて一縷の望みを託している。この姿は当時の人々とどれほど変わろうか。しかしワクチンの実用化によるウイルスの鎮静化がなかなか進まなければ、人々の不安は増幅するであろう。そこに精神の拠り所となる強力なファクターが現れれば、多くの人はそこに一縷の望みを託すことになるだろう。
700年前の中国・江南の農村地方では「郷曲保全」を目的に農村が個々に自衛手段をとっていた。私も学生時代は観念的に辞書的にしか理解しかしていなかったが、今の状況を考えると、それはまさに「ロックダウン」そのものだったのではなかろうかと思う。まだ江南地方など食糧が多少なりとも残存する農村はロックダウンによって外部と遮断し、必要な食糧をひたすら貯め込んで自衛を図ることができたのだろう。当然、食糧を抱え込んでいる農村は流寇野盗だけでなく、王朝をはじめ食糧を必要とする集団(軍団)の標的となるわけで、そういう意味では農村の地主から見れば野党も反乱軍も王朝軍もみな一律に見えたであろう。地主からすれば農村を護ってくれるのであれば誰でもよく、たまたま長江を渡ってきた朱元璋がその期待に応えることに成功し、後の新たな王朝建設につながる勢力拡大の第一歩となった。朱元璋としても何らかの成算があったわけではない。正統な歴史書「明史」では朱元璋が反乱勢力と袂を分かって江南に渡ったことを英雄的決断のように述べるが、実際はこれとて場当たり的な一発の賭けでしかなかっただろう。
ウイルスを鎮静化させる一番効果的な方法は人と人との交流をなくすことである。しかしこれも長引くと死活問題になる人も出てくる。いつまで人々が理性を保っていられるかは保障の限りではない。近未来映画で描かれる、自警団が町を守る姿が世界のどこかで現実のものとならない保証はない。少なくとも700年前はそうだった。
これまで歴史学ではペストや天然痘などをきっかけに、どのように政治勢力や社会経済のシステムが変わってきたかを究明してきた。いま私たちが知りたいのは、このような疫病のときに昔の人々はどのように乗り切ったのか、疫病明けの新しい時代にどのように適応しようとしたのかというミニマムな姿である。歴史の中でも疫病によるだけでなく、「ロックダウン」によって生死の狭間に立たされた人はいたはずである。何も学術研究は理系だけがあれば事足りるわけではない。どのような史料が残されているかという課題は当然あろう。しかし今こそ経済学者、歴史学者などの文系の分野の研究者の方々には、過去の人々の姿を「同時代の姿」として掘り起こし、我々のコロナ禍の中で生きる人々の目指すべき姿の指針となる歴史を描き出してほしいものである。(おわり)
<
1
2
>
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
(連載1)新型コロナウイルス禍と歴史学の同時代性について
葛飾 西山 2021-01-04 20:23
(連載2)新型コロナウイルス禍と歴史学の同時代性について
葛飾 西山 2021-01-05 10:36
一覧へ戻る
総論稿数:5546本
公益財団法人
日本国際フォーラム