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2021-05-11 13:42
(連載2)国益としてのジェンダーフリー
葛飾 西山
元教員・フリーライター
よく解決策として挙げられるのが「男女同数」論であるが、これとて女性が「我こそは」と考えて行動できる環境が整っていない状況では、逆にその効果に対して反論が巻き起こる。そこで想起したいのが冒頭に紹介した寺町論文である。一人でも多くの有能な女性が何の躊躇もなく指導的立場に立つことを目指せる社会的空気を醸成するためには、まずは学校での改革が何よりも必要になる。しかしこれにも問題がある。いくらジェンダー教育を重ねても、児童・生徒にとってのロールモデルがなければ、どうしても「長」は男子、「副」は女子となってしまう。今でも男子が生徒会長、女子が副会長、男子が委員長、女子が副委員長という中学校や高校は多いのではないか。それでは何の意味もない。そこから強引に変えていく必要がある。その方法として、すべての中学校と高校で生徒会長・副会長、学級委員長や各委員を男女各正副制にすることを提言したい。生徒会長・副会長ともに男子、女子がおり、学級委員長や各委員も同様である。そして男子執行部、女子執行部を組織し、江戸時代の月番制にように、奇数月は男子執行部が運営し、偶数月は女子執行部が運営し、月代わりには男女間で引継ぎを行うのである。意見が合わないときは男子の長と女子の長が協議すればよい。学園祭などは男子執行部企画、女子執行部企画などで分担すればよい。これならば女子生徒が幹部となって組織を動かすロールモデルを全生徒が共有できる。中学で3年、高校で3年、6年間このロールモデルになじんだ生徒たちがやがて社会や大学に散らばってゆくことになる。
ジェンダー教育だけにとどまらず、学校組織の中で女子執行部を実践してゆくことで、「女子が指導的立場に立つ」ことを特別なこととしてではなく、普通のこととして次代を担う若者に感じさせることができるはずである。生徒会組織の人数を倍増して男女同数にすることには何の経費も発生しないため、学校内での阻害要因はないはずである。寺町論文で指摘されていたロールモデルの欠落は、ロールモデルを強引にでも作り出すことによって打開できるのではないだろうか。とかく学校現場では何かを変革しようとするとそう簡単にはできないという声が出てくるが、生徒会を男女二部制にして同じ責任と同じ権限を持たせることには、何も障壁はないはずである。男女共同参画社会を形成するのに、「男性、女性それぞれの特性と長所を生かして…」などという生ぬるいことを言っていたのでは、この先半世紀たっても実態は何一つ改善されない。本来ならば社会中枢の機能も男女二部制にしたいところであるが、それは人的経費が2倍に膨れ上がる問題を伴う。ならば学校教育の段階で否応なしに男子・女子がそれぞれ同等の責任と権限で生徒会を動かすことを通じて、女性が男性と同じくらいの比率で主体的にアクションを起こし責任あるポストにつくことを「普通」だと考えながら社会を動かしてゆける素地を作ることは、長い目で見れば国益に叶うことになるのではなかろうか。
男性の母集団の減少を女性で補うという視点は、ジェンダーフリーの考え方からすると邪道で、こちらの方面からも批判を被ることは覚悟している。しかし第一次世界大戦後にイギリスやアメリカで女性が選挙権を獲得したのも、戦争によって男性がいなくなった埋め合わせで、女性が国内物資の生産を担ったことを足掛かりにしたものであった。確かに理念通りに物事が進めばそれに越したことはないが、そうきれいごとでは進まない。結果的に実を獲れれば良いわけで、社会的責任あるポジションに女性がなかなか就けない現実が将来的に国益を損なうものであるという考え方は、現状を打破する足掛かりにならないであろうか。少なくとも、先細りする人口の、さらにその半分の男性だけで日本という国・社会を動かし続けてゆくと、そう遠くない将来、間違いなく女性が普通に大統領や首相や国務長官を務める国々からは置いてけぼりにされてしまうであろう。
男女がともに働いて社会を形成するのは当然のこととして、何の作為もなしに国会議員の半数は女性が占め、国家・社会の中枢に間断なく女性が登壇する状況にならなければ、日本は遠からずジリ貧になろう。学校での改革はその足掛かりになると考える。「女性を登用」「女性活躍」などという言葉が死語になるような社会を本気で作らなければならないのではなかろうか。(おわり)
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投稿履歴
(連載1)国益としてのジェンダーフリー
葛飾 西山 2021-05-10 18:56
(連載2)国益としてのジェンダーフリー
葛飾 西山 2021-05-11 13:42
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