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2021-11-03 18:57
(連載1)米軍のアフガニスタン撤退の背景
村上 裕康
ITコンサルタント
米国の20年にわたるアフガニスタンからの撤退は全世界に衝撃を与えた。米軍がイスラム過激派のタリバンに追い出されるように撤退する様に米国民のみならず、世界中が唖然とした。本稿は、米軍のアフガニスタンからの撤退のタイムラインを追いかけて、何が起きたのかをまとめる。次に、米軍の撤退でアフガニスタンにどのような問題が発生するのかについて議論する。最後に、20年間のアフガン戦争において、米国の政策意図がどのように変化していったのかについて議論する。
1.米軍のアフガニスタンからの撤退
アフガニスタンから8月31日という期限をもっての米軍の完全撤退は、米国内のみならず世界中に衝撃を与えた。2001年の9.11同時多発テロから数えて20年にわたるアフガニスタン戦争は、タリバンのほぼ全土掌握、米軍の完全撤退という形で終了した。2兆ドル以上の戦費を費やし、2500人の米兵の命の他、4000人近くの米国民間人の命を犠牲にして、米国は敗退した。
タリバンの攻勢に対して、2009年12月オバマ大統領は約3万人のアフガニスタンへの増派を発表した。2010年、2011年と米国だけで約9万人の兵をアフガニスタンに駐留させた。同時にアフガニスタンからの撤退計画を明らかにした。2011年7月までに撤退を開始し、2014年12月までにアフガニスタンでの米軍の活動を終了するという計画を明らかにした。以降、アフガニスタン政府軍を支援および訓練をするために、少数の米兵をアフガニスタンに残し、2016年までに残った米兵も撤退させるとした。
オバマ大統領が打ち出した当初の撤退計画は予定通りに進まなかったが、2017年時点で5500人まで駐留米軍の規模を縮小してトランプ政権に引き継いだ。トランプ大統領は、米軍の撤退計画を見直し、紆余曲折を経て2020年2月29日、タリバンとの間で「アフガニスタン平和協定」(別名「ドーハ合意」)を締結した。この合意で、タリバンが「アルカイダやISISなど国際テロ組織の活動拠点としてアフガニスタンを利用させない」ことを条件に、米国は2021年5月1日までに米軍を撤退させるとした。合意の時点で米軍の規模は約13000人であったが、2021年1月の時点で米兵の規模を2500人程度までに縮小した。
トランプ政権を継いだバイデン大統領は4月14日、米同時多発テロから20年を迎える9月11日までに米軍を完全撤退させることを発表した。撤退計画発表以降の米軍撤退の経緯および米国人の退避の推移は表1の通りである。2020年2月に締結された「ドーハ合意」では、米軍の撤退期限を2021年5月1日としていたが、2021年4月14日の撤退計画では9月11日を撤退期限とした。5月1日より米軍の撤退を始め、7月2日に米軍の要衝であるバグラム空軍基地から撤収した。4月の計画発表時点で米軍の規模は2500人~3500人程度であったが、バグラム空軍基地からの撤退で650人程度の米兵を残して、カブールの米国大使館の護衛にあたらせた。
その後、米軍の撤退期限を8月31日に早め、8月14日より米国人およびアフガン人協力者の退避作戦を開始した。アフガニスタン政府軍の崩壊は予想以上に早く、8月15日にカブールはタリバンの手に落ちている。アフガニスタン政府のガニ大統領はいち早く逃亡してしまった。退避作戦の開始時点で帰国を希望する米国人は約6000人程度いたが、米軍の撤退期限が8月31日に迫る中、退避作戦を急ぎ、最終的に出国希望の米国人200人程度をアフガニスタンに残して米軍の撤退を完了した。
「タリバンへの無条件降伏」ともいえる状態で米軍は撤退し、民間人をアフガニスタンに残しまま米軍が先に撤退したことに対して米国民の怒りの声は収まっていない。彼等は半ば人質状態でアフガニスタンに残され、未だ彼等の様子は定かではない。また、これまで米国に協力してきた多数のアフガン人、あるいは同盟国の市民を残しながら、米軍が撤退したことに対して、同盟国からバイデン大統領に対して非難の声が上がっている。イスラム原理主義のタリバン暫定政権は、内部に権力抗争を抱え、アルカイダやISISなどのテロリスト集団と抗争している。権力基盤が不安定なタリバン暫定政権の下にある残留米国人やSIV(特別移民ビザ)申請者の身の安全が確保され、無事に出国できるのか定かではない。
バイデン大統領は米軍の撤退計画はトランプ政権の置き土産(ドーハ合意)であると責任を転嫁している。しかし、バイデン大統領による性急で硬直的な米軍撤退の指揮が、混乱を招いたといえる。また、バイデン大統領が米軍撤退計画を作成した時点で、タリバンがアルカイダと協力関係にあったこと、あるいはタリバンが和平合意を脅かすほど暴力的であったという報告が上がっている。ドーハ合意は撤退期限を5月1日と決めているが、アルカイダなどのテロ組織をアフガニスタンで活動させないことを米軍撤退の前提条件としている。米軍撤退についてタリバンと交渉の余地があったはずである。
撤退を指揮したマケンジー将軍は「駐留米軍の規模を2500人規模の部隊を残留するよう提言した」と、議会の上院公聴会で証言している。部隊の一部残留を提言したという米軍司令官とそうした意見を聞いた覚えはないとするバイデン大統領の発言との食い違を見せた。また、バグラム空軍基地の撤収についても、大統領の側近は疑念を呈したが、バイデン大統領は同基地を閉鎖してわずかな兵だけ残す計画を承認した。軍当局者や側近と意見の食い違いがある中で、バイデン大統領がアフガニスタンからの撤退を強行した様子が伺われる。
表1.アフガニスタン撤退の経緯
4月14日 米軍の完全撤退計画を発表(米軍規模2500~3500人)
5月1日 米軍の撤退開始
6月 タリバンの攻勢激化、支配地域拡大
7月1~2日 米軍バグラム空軍基地から撤収(撤収後の米軍規模650人程度)
7月8日 米軍の撤退期限を8月31日に引き上げ
8月12日 アフガニスタンに残っている米国人に退避勧告
8月14日 米国人およびアフガン人協力者の退避作戦
8月15日 タリバンがカブールを占領
8月25日 アフガニスタンから米国人4500人退避完了、残り1500人
8月26日 ISIS-K、カブール空港周辺で自爆テロ、米兵13人死亡
8月30日 米軍完全撤退、退避作戦完了、出国希望の残留米国人200人未満
(つづく)
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(連載1)米軍のアフガニスタン撤退の背景
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