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2008-10-15 10:54
(連載)年金トラブル解決にいまこそ社会保障番号を(2)
山田 禎介
ジャーナリスト
でも日本人の名前も、アメリカの例に劣らず実は複雑だ。高木姓だが「タカギ」とは一線を画す「タカキ」という人がいる。また舟橋さんも「フナハシ」との読みにこだわる人がいるし、「わたしは『サイトウ』ではなく『セイトウ』だ」と、訂正を求めた斉藤さんもいた。こんな例は一端。日本にも、複数の呼び名、複雑な読み方の苗字、名前がある。国レベルでの個人識別では当然、個人識別のコードナンバーが必要となってくる。
5000万件ともいわれる納付記録が、だれが納めたものなのか分からないというのが、社会保険庁の「宙に浮いた年金記録」問題。だがいまは社会保険庁職員による組織的記録改ざん疑惑に焦点が移ってしまった。しかし根源はあくまでこの宙に浮いた年金記録問題。国民全体の年金記録を統一的な個人コードなしで果たして運営が可能だろうか。いや、日本も早急に社会保障番号制度の導入を論議すべきだと思う。現状の年金問題の根底は、コンピューター管理に移行する際の事務的ミスからことが始まっている。膨大な台帳にある個人名、それも複雑な読み方がある名前を転記するのに、むしろ事務的ミスが起こらなかった方が不思議だ。日本のどこにいても、個々の人に社会保障番号があれば、個人は特定され、同姓同名も判別、フリガナがなくともどこの誰かは一目瞭然だ。改ざん問題も、個人識別コードナンバーの存在があれば“そのような気にもならなかった”と思う。
だが、この社会保障番号と趣旨が似た制度は、1970年代の佐藤内閣時代に検討が始まっていた。来るべき福祉社会時代に向け、当時の行政管理庁が導入を図ったのがいわゆる「国民総背番号制」だった。しかし、第2次大戦での「国民(精神)総動員」の全体主義イメージと重なる、このマイナスのネーミングが独り歩きし、野党勢力を中心に反対の大合唱が起こり、マスコミも同調、まさに火に油を注ぐ結果となって消えた。戦前の多くの国家統制へのアレルギーからか、この種の「総」の漢字には“無条件”思考停止的な反発があるのが日本だ。その一方で、「統一」という言葉は、「統一テスト」に、懐かしい「統一スト」と、官民ともに気楽に使うのも不思議。根底には日本人全体の現状認識の甘さがあるのではないか。
社会保障番号というコード番号がなければ、コンピューターの高価なソフト、高コストの運用を迫られる。それでもなお間違いを完璧になくすことは困難のはずだ。移民を受け入れた諸外国は、すでに社会保障番号を持ち、途上国でも現状では形式的かもしれないが制度を持っている。名前の読み方の複雑さはなにも日本独自のものではないからだ。(おわり)
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