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2009-06-15 16:28
(連載)武器輸出三原則を緩和・解消せよ(1)
高峰 康修
岡崎研究所特別研究員
自民党国防部会・防衛政策検討小委員会の防衛大綱に関する提言が、6月9日に正式に了承され、その中には今後の我が国の防衛政策にとって示唆に富む内容が数多く盛り込まれているが、「武器輸出三原則を緩和すべし」という提言も、重要な内容の一つである。武器輸出三原則は、1967年4月21日の衆議院決算委員会における佐藤栄作首相の答弁がその起源であり、(1)共産圏諸国、(2)国連決議により武器等の輸出が禁止されている国、(3)国際紛争の当事国又はそのおそれのある国に対しては、「武器」の輸出は認めないものとされた。このうち、前2項に関しては全く問題がなく、第3項目に関しても原則論としては適切だといえる。すなわち、武器輸出三原則自体は本来、不合理なものであったわけではない。
これがいびつな形にさせられたのは、1976年2月27日の衆議院予算委員会における三木武夫首相の追加答弁のせいである。三木元首相は、上記の三原則に加えて、(1)三原則対象地域については「武器」の輸出を認めない、(2)三原則対象地域以外の地域についても憲法及び外国為替管理法及び外国貿易管理法の精神にのっとり、「武器」の輸出を慎む、さらに(3)武器製造関連設備も、輸出にあたっては「武器」に準じて取り扱う、との項目をつけくわえた。これで、武器輸出三原則は事実上「武器輸出禁止原則」になってしまったのである。
三木元首相は、軍事を忌避する戦後左派の体質を色濃く持っており、防衛費の対GNP比1%枠とともに、これは我が国の防衛政策を大きく歪めた元凶である。その後、1983年1月14日に中曽根内閣の後藤田正晴官房長官が「日米安全保障条約の観点から、米軍向けの武器技術供与を緩和することを武器輸出三原則の例外とする」との談話を発表し、米国に対してだけは原則が緩和された。2005年にはBMD(弾道ミサイル防衛)共同開発等に対応するなどのため、さらに緩和されたが、基本的には「武器輸出禁止原則」が健在であることには変わりはない。
現在の武器輸出三原則の解釈では、二つの大きな不都合が生じる。一つは、米国以外の国との武器の共同開発ができないこと、もう一つは、国内の防衛産業の衰退を招くことである。最先端の戦闘機や無人機などの研究・開発には、膨大な予算と高度な防衛技術を要する。一国だけでなく、複数の国が共同で行うのが最近の国際的潮流である。(つづく)
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高峰 康修 2009-06-16 09:17
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