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2009-07-16 12:04
(連載)日米同盟の重大な障害となり得る「核持ち込み」密約(1)
高峰 康修
岡崎研究所特別研究員
最近、村田良平・元外務次官が、核兵器を搭載した米国艦船の寄港に関する日米間の「密約」があったと証言するなど、冷戦下の日米安保条約および非核三原則のあり方について歴史のベールが脱がされつつある。結論から言ってしまえば、政府は「密約」の存在を認めた上で、日米安保条約と非核三原則の解釈を改めるべきである。そうしなければ、悪化する東アジアの安全保障環境に対応できなくなる恐れがある。
村田・元外務次官によれば、1960年の日米安保条約改定では、公式には核兵器の日本への持ち込みは同条約第6条(極東条項)の実施に係る事前協議対象とされたが、核兵器を搭載した米艦船の寄港・通過は事前協議の対象としないとの別途の秘密合意があったとのことである。その後1963年3月に池田勇人首相(当時)が「核弾頭を持った船は日本に寄港できない」と国会答弁したため、密約との矛盾を懸念したライシャワー駐日米大使が大平正芳外相(当時)との間で、寄港密約を再確認したという経緯をたどる。「密約」の存在に関する証言は、その後も相次いでいる。外務省の条約局長などを務めた元外務省幹部が、報道各社の取材に対して、米国の核搭載艦船が日本寄港や領海通過を黙認する「密約」の本文が、外務省内に保管されていたことを明らかにしている。これは、先の村田・元次官の証言を裏付けるものである。
また、大河原良雄・元駐米大使が報道機関の取材に対して大変興味深い事実を明らかにしている。それは、1974年11月のフォード米大統領(当時)の来日に合わせ、日本政府が非核三原則の「持ち込ませず」を事実上修正し、核搭載艦船の寄港を公式に認める方向で検討をしていたという事実である。すなわち、先に述べた「密約」を解消して公式に認めることである。これは、外務省最高幹部の会合で検討され、田中角栄内閣で実現寸前まで行っているが、その後を継いだ三木武夫内閣で立ち消えになっている。おそらく、三木武夫の、戦後日本特有のパシフィスト的反戦平和思想による軍事忌避が根底にあるものと想像される。
その後、一貫して政府は、「核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはない」という理屈になっていない理屈で、冷戦後の現在に至るまで押し通している。これは全く欺瞞的であり、米国、第三国、日本国民のいずれの信用をも損なう行為であるから、改められるべきである。しかし、政府答弁を改めるべき理由は、欺瞞的だからというだけではなく、この密約がいまや日米同盟にとって重大な障害となり得るからである。(つづく)
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(連載)日米同盟の重大な障害となり得る「核持ち込み」密約(1)
高峰 康修 2009-07-16 12:04
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高峰 康修 2009-07-17 09:27
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