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2010-11-16 07:38
「逮捕せず」で形無しの仙谷強硬論
杉浦 正章
政治評論家
「中国人船長釈放」と「海上保安官逮捕」とのバランスを考えたというのは、一言で言えば「大岡裁き」であろう。世論の圧倒的な擁護論の高まりの中で海上保安官は不起訴の方向が確定的となった。この捜査当局の方針決定は、菅直人内閣、とりわけ官房長官・仙谷由人主導の政治判断に「ノー」の結論を突きつけたことになり、またしても菅内閣の判断能力が問われる結果となった。またマスコミの判断では、朝日新聞のミスリードが目立った。「逮捕せず」の方針決定の根拠は、公式的には海上保安官の行為に悪質性が乏しいことと、ビデオ映像に機密性が薄いの2点に尽きる。最高裁が1977年に「実質秘」重視の判断を下していることも影響したのだろう。加えて捜査当局が「船長」を超法規的に釈放した問題とのバランスを考えた、という判断は正しい。大局を見ている。
逆に、首相官邸は、菅自身が「逮捕論」であったのに加えて、仙谷が当たるべからざる勢いで「逮捕・起訴」論であった。仙谷は、世論に擁護論が多いことをを、「多いとはどのくらいか」とはねつけ、「大阪地検特捜部の事件に匹敵する由々しき事案だ」と、明らかに起訴を意識する発言を繰り返した。これを受けたのだろう、「大阪地検」で官邸に弱みを握られている最高検が、「逮捕論」で押し通そうとしたのが構図だ。最高検は、船長逮捕に当たっても、甘んじて政治側からの「責任押しつけ」に応じている。今回も官邸から指示があったか、官邸の“気持ち”を忖度(そんたく)した可能性がある。しかし最高検は、高検、地検の「勇気ある」抵抗にあった。かねてから船長釈放の政治責任を一地方検事に押しつけた首相官邸への反発も、地検内部には相当あったといわれている。検察の内部対立が分裂状態へと発展しかねないぎりぎりの中で、最高検が分裂回避で降りた、のが真相のようだ。
繰り返すが、事件を大局的に見る目において、官邸や最高検より捜査当局の方が優れていたことになる。そもそもの流出事件の発端は、政府がビデオの公開をしなかったことと船長を釈放したことの2つの誤判断の上に成り立っていた。その誤判断の上に“義賊”が出現したわけである。それを差し置いて、「逮捕・起訴」に踏み切った場合、非難の矛先が首相官邸に向かうことを理解せず、仙谷はニワトリが目先の餌をつつくような発言に終始した。既に朝日の11月16日付け朝刊の世論調査では、支持率が27%に急落して、「20%台での4代連続退陣」が「5代連続退陣」へとなりかねない要素も出ていた。その中での逮捕となれば、更なる支持率ダウンに直結したであろう。
要するに、総合判断ができるか、「仙谷法匪」的な狭隘(きょうあい)な判断にとどまるか、それが問われる問題であったのだ。確かに「逮捕するか、しないか」は、難しい判断を問われる場面であったが、朝日新聞は致命的な誤報をした。11月11日付け朝刊トップで「神戸海上保安官近く逮捕」の見出しを取り、社説では「政府の高度な判断を、一職員が独自の考えで無意味なものとしてしまっては、行政は立ちゆかない」と、保安官責任論を展開した。関連記事も、同趣旨の論調で一貫させた。恐らく最高検の「逮捕」情報に引っ張られたのだろうが、社説子の言う「高度な判断」が根本から間違っていれば、どうするのだ。どうもこの新聞は、大局を見ずに官僚的な判断にとどまるケースがよくある。今朝の見出しも、読売が「逮捕せず」とやっているのに、朝日は「逮捕見送り」とした。誤判断をカバーしようとする未練たらたらの「言い訳見出し」だ。
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投稿履歴
「逮捕せず」で形無しの仙谷強硬論
杉浦 正章 2010-11-16 07:38
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吉田 重信 2010-11-16 13:02
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総じてビデオ流出事件の理解度が問われる
杉浦 正章 2010-11-17 15:34
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彦坂 慶 2010-11-27 17:46
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