「共同体」の定義についても激論が交わされた。私は欧州の例を引いて、宗教・民族・文化における価値観に共通性がなく、経済・社会の発展段階に極端な差のある東アジアに「共同体」形成の基盤は存在しないという立場で論陣を張ったが、「共同体」には、漠然と「国際社会」というのを英語で international community と呼ぶように、緩やかで広義の概念も存在するので、あまり堅苦しく考えるべきではないというASEAN側からの反論もあった。なるほど、これがアジア的価値観なのだろう。とにかく前向きに物事をとらえることは悪くないと思い直した。