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2013-07-31 19:28
(連載)イスラム過激派は日本人にとっても脅威である(1)
河村 洋
外交評論家
今年の始めにイナメナスで起きたアルジェリア人質事件を思いおこして欲しい。モフタール・ベルモフタール指揮下のアル・カイダ関連組織は、現地の天然ガス合弁事業の従業員の内、アメリカ人とヨーロッパ人以上に数多くの日本人とアジア人を殺戮した。この事件はイスラム過激派がキリスト教徒とユダヤ教徒だけでなく、およそ全ての人々の敵であることを示す象徴的な出来事である。急進的イスラム主義者は普遍的に真の脅威は普遍的なのである。高校や大学の世界史の教科書では十字軍に典型的に見られるようなイスラム対西欧の衝突が中心に記されている。歴史を通じてイスラムと西欧の対決は頻繁に起こり、それもツール・ポワチエ間の戦い、イベリア半島のレコンキスタ、コンスタンチノープル陥落、ウィーン包囲と目白押しである。さらに19世紀の植民地主義によって反西欧感情がイスラム世界に広まることになった。
イスラムと西欧は長く厳しい紛争を続けてきたので、中東のムスリムはアメリカ人やヨーロッパ人を嫌うことはあっても日本人やアジア人を嫌うことはないと広く信じられている。イナメナスの虐殺を見ればこれが全くの間違いであることがわかる。ベルモフタールのような過激派から見れば、非ムスリムのよそ者などは彼らが到底理解し得ないカフィール(kaffir=イスラム教徒から異教徒に対する蔑称)なのである。さらにコーランを文字通りに解釈すれば日本人もアジア人も啓典の民ではないので、イスラム教徒にとってはユダヤ・キリスト教徒であるアメリカ人やヨーロッパ人よりもはるかに異教徒なのである。実際に数多の日本人がイスラム過激派から無惨に殺されているが、彼らはそうした日本人達がアメリカ人やヨーロッパ人と行動を共にせず、キリスト教と関わっていなくてもお構いなしに襲いかかっている。その中でも最も注意を引く事件は、サダム・フセインの失脚からほどなくしてティクリート近郊で起こった日本人外交官銃撃事件で、奥克彦駐英参事官と井ノ上正盛駐イラク三等書記官が射殺された。
イスラム過激派の脅威をさらに理解するために、東洋史をふり返りたい。イスラムは西欧以外にも異教徒の文明と戦った。最も目を引くものはインドでの仏教の聖地への破壊行為である。一般にはバラモン教がインドの支配者と庶民の間でヒンズー教として再興したために仏教が衰退したと理解されている。7世紀のハルシャ・バルダナ帝の統治下で唐から仏僧の玄奘がインドに留学して仏教哲学とサンスクリット語を学んでいた頃には、仏教はすでに衰え始めていた。しかしインドの仏教を破壊してとどめを刺したのはイスラム過激派である。
イスラム教徒のインド侵入が本格化するのは11世紀でガズナ朝の時代に当たり、それによってインド亜大陸のイスラム化と仏教文明に対する偶像破壊主義的な攻撃が行われるようになった。最も恐るべき攻撃はゴール朝の時代にムハマド・バクティヤール・ハルジーが仏教文明の最高峰とも言うべき僧院に対して行なった破壊行為で、玄奘が学んだナーランダ僧院は1193年、そしてヴィクラマシラ僧院は1203年に破壊された。中世初期の仏教理論によると、偶然にもそれはゴータマ・シッダルタの没後から1500年を経過して末法の時代が始まる時期に当たる。末法思想では末法の世になると人々は仏陀の教えを尊びながらもそれに従うことはなくなり、やがては仏教の終焉と社会的無秩序がもたらされる。インドで仏教を破滅させ末法の世を現世にもたらしたのはイスラムの鉄拳だったのである。(つづく)
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