自らをレーガンの後継者とするクルーズ氏の外交政策は、ジーン・カークパトリック氏が1979年11月に『コメンタリー』誌に寄稿した「独裁と二重基準(“Dictatorship and Double Standards”」という論文に負うところが大きい。クルーズ氏はシリアのバシャール・アル・アサド大統領のような好ましからざる独裁者とも共存を厭わず、道義的な介入による予測不能な混乱を避けようとしている。カークパトリック流ダブル・スタンダードは、ソ連への対抗のためにとられた。ネオコンや進歩的国際主義者とは違って、カークパトリック氏は文明の普遍的な進歩に懐疑的で、理想主義者よりもリアリストであった。しかしクルーズ氏は、レーガンが常に彼女の助言に従ったわけではないことを見落としている。クルーズ氏が中国やイランのようなアメリカの戦略的競合相手とシリアやエジプトのようなアラブの好ましからざる専制国家との間でダブル・スタンダードをとっていることは、自由と人権の擁護者という世界の中でのアメリカの立場を低下させかねない。