1980年代以降、中国は二つの大きな歴史的趨勢を始動した。第一に、再び最大の精力を集中させて自国の現代化を実現した。第二に、開放戦略を実行し、国際社会化の過程を徐々に開始した。現在としては、この二つの歴史的趨勢が冷戦後期と多極化時代の波動の試練に耐えて今に至っている。その歴史的な結果は明らかであり、中国はシステム的な巨大な発展を遂げた。中国が上記の発展を遂げることができたのは、その原因が多方面にわたったからである。しかし、国内の治理の観点から見れば、これは間違いなく中国共産党の、国家発展の戦略的ニーズに立脚して、世界情勢と国際構造を観察し、形作る、という戦略の能力と密接に関係する。その最大の戦略的ニーズの一つは、現代化建設に有利な平和国際環境を作ることである。この戦略的ニーズに基づいて、1980年代以降、中国共産党は全体的な影響力を持つ観点を形成した。
即ち、中国の現代化建設には長期の国際平和環境が必要である。基本的には、この戦略的観点は中国の発展と国際平和の三大関係によって決定された。第一に、中共の執政の重点を経済建設に移し、戦略的な重心のズレと戦略的な精力の分散を避けるために、経済発展に有利な平和環境を構築しなければならない。第二に、中共は開放戦略を実行し、国際資源と国際条件を十分に活用するために、中国の発展が必然的に世界の普遍的な発展から切り離せないので、平和な外部環境が必要である。第三に、中国の歴史と現状は非常に複雑で、また中国の現代化建設の規模は世界史で一番大きいので、実情から言えば、中共は相応の長期発展戦略を制定しなければならない。
上記の戦略的観点は大体、つぎの四つの発展段階を経た。第一は、1980年代初め、中国共産党の国際平和問題に対する基本的な判断は戦争要素が依然として存在しているが、戦争を制約する平和力は戦争力を超えている、という段階である。1980年代半ばまでに、トウ小平はこの判断を平和と発展のための現代世界の二つのテーマの観点に更に集中させた。この時期、中国外交は「世界革命」の目標を徐々に放棄し、冷戦からの脱却を始め、自国の現代化に有利な国際平和環境を作るために再び努力してきた。
第二は、1987年から1990年代まで、国際情勢は急激な転換期に入り、中国は一時、国内政治の風波、西洋世界の圧力、ソビエトと東欧の激変など、極めて厳しい試練に直面した段階である。こうした中、中国共産党は戦略的決定力を維持し、左右両面からの妨害を断行として排除し、改革開放路線を堅持した。外交において、中国は内外の情勢の巨大な変動によって新たな国際対抗に踏み込まれず、現代化建設には平和な国際環境が必要という観点を堅持し、引き続き国際社会に加入し、諸大国との関係を発展させるよう努力してきた。1997年の中国共産党第十五大報告には「社会主義の現代化建設を行うには、長期的な平和国際環境、特に良好な周辺環境が必要です」とある。(つづく)