ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2021-08-05 15:22
(連載2)国際舞台での日本の首相
河村 洋
外交評論家
内政において菅氏は派手でもなくカリスマ性にも欠けるかも知れないが、永田町の政治に精通した冷静沈着な仕事人ではある。これが典型的に見られたのは、安倍政権の官房長官の時であった。首相としての管氏は「自助、共助、公助」という政治理念らしきものを掲げ、どうやら「小さな政府」を信奉していると思われる。ともかく「大きな政府」であれ「小さな政府」であれ、イデオロギー論争よりも派閥力学が幅を利かす日本の政治において、こうした姿勢はきわめて異例と言っても良い。しかし菅氏の東京オリンピック運営はあまりに稚拙でグローバルな価値基準を満たすにいたらず、事務当局内では女性蔑視や反ユダヤ主義の失言でスキャンダルにみまわれるほどである。
日本には他にも国際社会と問題意識を共有できなかった指導者がいる。森喜朗元首相は最悪の例と言っても良い。東京オリンピック競技大会組織委員会の会長職にあった森氏は不用意にも「(委員会に)女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困る」という失言を発し、辞任に追い込まれてしまった。問題は女性蔑視だけではない。世界からの厳しい非難に直面した森氏は妻と娘達からその失言で叱られたと言って、自らの家庭では父権的男性優位的でもないとの言い訳に走った。明らかに森氏は問題点を理解していなかった。国際社会は公人としての森氏のジェンダー問題への見解を問い質したのだが、意図的か非意図的かはともかく公私混同してしまった。
欧米の指導者にも国際的な価値基準を満たせなかった者もいる。典型的な事例として、2008年のアメリカ大統領選挙で共和党候補の相方となったサラ・ペイリン氏によるロシアについて発言に世界の聴衆が失望し、ジョン・マケイン上院議員の当選への見通しが遠のいた件が挙げられる。共和党はロシアとカナダに隣接するアラスカ州知事というペイリン氏には、余人にはない外交経験があると主張した。しかし、それは国民には懐疑的に受け止められた。『CBSイブニング・ニュース』のケイティー・クーリック氏は9月25日に放映されたインタビューで、この点を問い質した。ペイリン氏はアラスカがロシアによる対米攻撃で最初の標的になると強調した。それは全世界にあるアメリカの同盟国やその他の国々が求めていたものではなかった。当時、アメリカとロシアは東欧へのミサイル防衛システム配備、ウクライナの選挙、ジョージアの紛争をめぐり、互いに対立していた。明らかに、ペイリン氏はアメリカと同盟諸国の外交政策形成者達との問題意識の共有ができていなかった。
上記の事例に鑑みて、日本の政治家とオピニオン・リーダー達は、英語コンプレックスから脱却すべきである。今や21世紀で、我々は1970年代や80年代の思考様式から進化しなくてはならない。ともかく、そのことに深刻になり過ぎなくてもよいだろう。通常業務では欧米の指導者も内政で手一杯なことは、ペイリン氏の事例にも見られる通りである。しかしG7の議題でかなりの部分が割かれたものは、開発、エンパワーメント、公衆衛生など、国家同士の関係よりも個々の市民の生活の質と強く関連する課題も多い。よって、菅氏あるいは他の誰かが日本の首相であっても、普段から接している国内(domestic)問題とグローバルな問題を関連付けられれば、もう少し自身のある振る舞いもできるのではなかろうか。最後に、森氏は自らの家庭内(domestic)の問題に上手く対処する能力を国際公益のためには活用できず、残念としか言いようがない。(おわり)
<
1
2
>
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
(連載1)国際舞台での日本の首相
河村 洋 2021-08-04 18:17
(連載2)国際舞台での日本の首相
河村 洋 2021-08-05 15:22
一覧へ戻る
総論稿数:5546本
公益財団法人
日本国際フォーラム