この選挙について述べる前に、ウクライナ政治と欧米対ロシアの力の駆け引きに言及したい。選挙前にカーネギー国際平和財団のマーク・メデッシュ客員研究員は、ウクライナ政治での民族と地域利害の複雑な絡み合いについて語っている。ウラジーミル・プーチン氏からジョージ・W・ブッシュ氏への一言を引用しながら、メディッシュ氏は「ウクライナが国としての統一性を欠く人造国家である」ことを指摘している。西部にはハプスブルグ家の領土だった地域もある一方で、クリミアを含めた南東部はソ連時代にロシア共和国から移譲された(“The Difficulty of Being Ukraine”; International Herald Tribune; December 22, 2009)。そうした民族・地域的な相克は、両候補の支持率に反映されている。
英国『エコノミスト』誌は、ソ連崩壊後のウクライナ史の全体像を語りながら、オレンジ革命以降のこの国の統治が、失敗を重ねてきた理由を模索している。ウクライナ国民は、レオニード・クチュマ氏がビクトル・ヤヌーコビッチ氏に不透明な権力移譲を行なったことに憤慨して、革命を起こした。怒りの矛先は、ヤヌーコビッチ氏自身に直接向けられたものではない。ユーシェンコ政権は国民の期待に応えられなかった。ロシアやポーランドと違ってウクライナでは、自由主義経済学者が指導力を発揮することなく、経済は腐敗した新興財閥に支配された。ユーシェンコ氏は、官僚機構に蔓延する腐敗も撲滅できなかった。ウクライナ語の普及と歴史修正といったナショナリスト政策は、東部のロシア系住民に反感を抱かれた(“Five years in Kiev”; Economist; January 21, 2010)。オレンジ革命政府はウクライナ国民の高い期待に沿えなかった(つづく)。