周知の通り、核兵器廃絶は削減を含め安全保障問題のなかでももっとも緻密で慎重な検討が行われている分野である。対人地雷やクラスター爆弾と違い国家の存亡に関係する重大事だからである。拘束力を持つ条約でも核拡散防止条約(NPT)、戦略兵器削減条約(例えば米ロの2011年のSTARTⅣ)、中距離核戦力全廃条約(1988年のINF)、核実験制限・禁止(例えば1996年署名されたが未発効の包括的核実験禁止条約《CTBT》)、その他非核兵器地帯(NWFZ)など多くの蓄積がある。松井広島市長が「2020年までの核兵器廃絶をめざし」早期実現に全力を尽くすと述べた核兵器禁止条約もその一つである(ただし、松井市長のいうような平和市長会議加盟都市、国連やNGOなどの連携で、ここ数年で実現できるものではなかろう)。さらに宣言的政策が信用できないので米ロの間ではtrust but verifyの原則のもと、数量管理の透明性を向上させることで信頼を醸成してきた。文書のみでは信ぴょう性が不足なのである。まして共同声明のような宣言の影響するところは少ない。
したがって何でも聞こえの良い文書なら署名するといった無責任な方針をとらない限り、論理的整合性が重要になる。報じられるように、日本政府が南アフリカなどの主要提案国に対し、文中の「核兵器が二度といかなる状況でも使われないことが人類生存の利益になる」との部分の修正を求めていたのは「いかなる状況でも(under any circumstances)」の3語は北朝鮮の核開発など周辺の脅威には米国の核抑止力に頼っている実情に矛盾すると解したからであろう。各国が自国の方針により特定の共同声明に参加する・しないを決定するのは当然である。今回の共同声明署名国に北東アジアの国は一か国も(非核地帯構想に熱心なモンゴルでさえも)含まれていない。(つづく)